亘理 一等陸曹(享年48)
陸上自衛隊の機甲科所属の下士官。第二次世界大戦に戦車兵として従軍し砲手として部隊内に知られた名手であった。出身は熊本県。
戦後の混乱やA号標的による国際的な社会不安による経済苦から、家族を養う為に陸上自衛隊の設立時にはいち早く入隊し、九州方面の機甲化部隊の基幹隊員として職務に邁進する。
南西諸島において発生したA号標的に対する日米共同作戦に参加、米軍から払い下げられたシャーマン・クロコダイル(M4中戦車の火炎放射戦車改修型)の車長として10m級の集団の侵攻抑止に貢献。日米軍がヒート兵器の開発に傾斜する契機となる。
1959年11月、沖縄本島での撤退作戦時に住民と20m級の間に割り込む形で交戦、乗機・乗員ごと圧死した。
同年12月、彼の准陸尉への昇進が遺族へと告げられた三日後、米軍からの日本国内での共同作戦からの撤退が決定した。

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